なぜ再開しようと思ったのか
いつもTwitterでいろんなことを書きすぎている気がして、恐らくそれでTLを占領されたりしている方もいるのではないかなと思ったのでこっちをまた稼働させてみる。
140字という手狭な環境でツイートしていてはどうしても一つ一つの文脈が分断されてしまうから、そこでちょっとした思考や感情の空白が生まれているのではないかと常常感じていたというのもあるし、ある程度他人に見られることを意識した上で、まとまった、綺麗な文章を書く練習をしたかったというのもあるけど、ここまでは多分表向きの理由なのかなって思う。自意識が大きくなっている時、ひっそり水を流し込むプールが欲しかったが本音なのかも。
今の気持ちはこんな感じかな。
ごめんねぇブログさん。こんな場所に生まれたくなかったよね。
この手の文章をこのブログに投稿するの三回目なんだよね。。いかに私が飽きっぽいか、うむむ。。継続。したいわね。出来るわよ。気合いよ気合い。
久々に読み返すと過去の自分が可愛くて可愛くて。たまらん。ハァハァ。
やっぱりブログは残すべきやな。
今はとても安定しています。過去の記事を読み返して、なんちゅう人生楽しそうな人やって、なんか羨ましく感じちゃったくらい刺激のない生活をしています。
過去の記事で指摘されたことが改善された自覚はありません。
これはこれでなんとなーく嫌だなぁと思わなくも南雲穂波なので、なんとかしたい。(ざっくり)
ところで後期の初め頃に書いた記事も発掘されて、読んでみたら「こいつ誰?」って感じの意欲の塊を無事確認。
おそらく現実の自分と葛藤するのもめんどくさくまあ適当で良いよねって流したんだろうなーーー願望ーーーーー。
これ、高校時代まさにこれだったのでは。多分それに「集団の中での無力感」と思春期特有の「野放しの自意識」が付加されると多分高校に戻れてしまう気がする。
やっぱり私の人生は浪人期をちゃんと乗り越えられていないようです。南無。
ちゃんと葛藤してあげたいね。